クラブ概要
創立 | 1963年4月19日 |
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承認 | 1963年5月13日 |
認証状伝達式 | 1964年3月27日 |
スポンサークラブ | 館山ロータリークラブ 鴨川ロータリークラブ |
事務局 | 〒299-5231 千葉県勝浦市沢倉348 TEL:0470-76-3400 FAX:0470-76-3812 |
例会場 | ホテル ブルーベリーヒル勝浦 〒299-5245 千葉県勝浦市興津1920 TEL:0470-76-3400 FAX:0470-76-3812 |
例会日 | 毎週金曜日 12時30分 点鐘 |
所在地域 | 勝浦市及び夷隅郡御宿町清水川以西 |
会員数 | 正会員 37名(2023年7月7日現在) |
ビジョン声明
私たちは、「奉仕の理念」に基づき、持続可能で多様性に富んだ奉仕活動を実践するとともに、互いに切磋琢磨し、あらゆる変化にも柔軟に対応できる高い能力を持ち、恒久的に活力のある、地域に愛され、必要とされるクラブであり続けます。
勝浦ロータリークラブ バナーの由来
南房総の東端 八幡岬の勝浦城址から望む太平洋の大海原。そして、航路安全の指標の灯台・鰹水揚げ日本一の勝浦漁港、市のシンボルとされる「尾名浦のめがね岩」は自然の芸術品です。
又、日本の渚百選の海水浴場・ダイビングスポット・サーフィン、このような自然豊かな中 観光、漁業に伴う数多くの絶景・施設が点在し、心身が癒やされる地域です。
大自然の美しい景観と、人々との暮らしの歴史を永く語り、創立当初からの基本デザインには「ロータリーの奉仕の灯火を灯台の灯りのように輝き、いつまでも地域を限りなく照らしつづける。」でしたので、そのコンセプトは保持し、総合的に勘案再生しました。
勝浦ロータリークラブ(千葉)と那智勝浦ロータリークラブ(和歌山)“姉妹クラブ”締結
7月26日午後12時半から約1時間、那智勝浦町「勝浦シティプラザリゾートホテル」で開かれた那智勝浦ロータリークラブ(庵野了嗣会長)の例会で、同クラブと我が勝浦ロータリークラブとの「姉妹クラブ」締結調印式が行われた。勝浦ロータリークラブからは、関正巳・釜田英之・西川佳璋・高梨薫敏会員の4名が出席した。調印の後、力強い握手を交わし、今後も交流、親睦を深めることを約束して、会場では大きな拍手がわいた。
いきさつは、西川佳璋会員(宗教法人日蓮宗長寿山本行寺住職)が、腎臓手術のため東京女子医大病院に入院した際、その少し前に同じ手術を受けたという、谷川醇太郎氏(吉野熊野新聞本社社長)と数日間同室したことから始まった。偶然にも、お互いロータリアンである事を知ってから、より親交が深まった。西川会員は退院後、勝浦ロータリークラブの例会で、手術のこと、ロータリアンである谷川氏との出会いについて報告した。また、その中で、那智勝浦町が昨年の9月4の台風12号襲来に於いて、甚大な被害を被っていること、同名の町なだけに、たいへん心が痛むと話した。
この話を聞いた会長(関正巳直前会長)は、『すでに勝浦市は災害の後、那智勝浦町に対して義援金を送り、そのお礼にと、那智勝浦町の町長が勝浦市のビッグひな祭りに訪ねて来られたという経緯もあるので、同名のクラブ同士、姉妹クラブを締結し、助け合ったらどうでしょう。』と提案した。
たいへん感動する西川会員を見た関直前会長は、その意志を固め、早速理事会に案件を持ち込んだところ、全員一致にて可決した。
しかしながら、勝浦ロータリークラブと那智勝浦ロータリークラブとの間には全く接点が無かったので、西川会員から谷川氏に橋渡しを依頼した。谷川氏にも那智勝浦と繋がりは無く、かつ、スケジュールが詰まっている上、再度入院したいきさつもあって、那智勝浦ロータリークラブには出向く機会を持てずにいた。しかし、谷川氏からの声かけで、他の方の協力も得て、ようやく実現できる運びとなった。2011-2012年度中の締結を予定していたが、台風の襲来のため、やむなく7月になった。ロータリークラブは7月に新年度がスタートするので、すでに役員交代の後だったが、2011-2012年度に持ち上がった話とあって、両クラブ全員の了解のもと、直前会長同志の調印式となった。また調印式にあたり、勝浦ロータリークラブでは、2011-2012年度、50周年行事実行委員会の応援を受け、合算の義捐金を贈呈した。実行副委員長も同席し、勝浦ロータリークラブ50周年行事への参加を促した。贈呈後全員が記念撮影。西川、谷川両氏が挨拶と祝辞を述べて無事、調印を終えた。